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コラム

隅田川歳時記

四月

上旬 / 流鏑馬(やぶさめ)
隅田公園にて。馬を馳せながら矢を射る「やばせむま」から転じたといわれる流鏑馬は、鎌倉八幡宮が有名だが、江戸時代に浅草神社で毎年正月15日に行われていた。昭和58年から復活した。
8日 / 花まつり
浅草寺にて。お釈迦様の誕生日に、刺繍の釈迦涅槃像がかかげられ、読経、甘茶の接待で祝われる。甘茶の接待は、釈迦誕生の時、九竜が空から清浄水を吐き注いで、産湯をつかわせたという伝説による。
12日 / 扇供養会
浅草寺弁天山扇塚にて
13日 / 十三(とみ)詣
浅草寺にて。13歳の厄年に少女が虚空蔵菩薩にお詣りし、本堂において浄水を掛けられ、宝印を額に当て厄除けと成人へ祈願が行われる。
15日 / 梅若忌
木母寺にて。謡曲「隅田川」でお馴染みの主人公梅若丸の忌日。この日は念仏供養とともに謡や踊りも行われる。
中旬 / 早慶レガッタ
隅田川(両国橋〜白鬚橋)にて。伝統ある早稲田大学と慶応大学の水上の一戦で、春の風物詩。明治38年に第一回が行われ、一時中断の後、昭和53年に復活された。第69回の平成12年は4月16日に行われた。
19日 / 馬頭観音法要
浅草寺駒形堂にて
28〜29日 / こんこん市
玉姫稲荷神社にて。靴業者が商売繁盛と地場産業の発展を祈願して始められた行事。当日、境内に靴の市が立ち並ぶ。

五月

3〜5日 / 鉄砲洲稲荷神社祭礼
海上守護の神として、海運業者、船乗りの信仰が篤く、都内では最も早く大祭が行われる。3年に一度の大祭には、昭和初期に造られた鳳輦と大正初期に造られた本社神輿の神幸祭行列がある。平成12年5月3日には約60年振りに本社神輿の渡御がある。
5日 / 端午節句
5日 / 人形市
浅草橋界隈にて。端午の節句に因み、武者人形市が催される。
5日 / ぼんでん祭り
白鬚神社にて。天歴5年(951)、近江の白鬚明神を勧請した当社で、青竹に紙の御幣を付けた「ぼんでん」を作って、舟に乗せて隅田川を溯り、悪疫の退散と水難除け、五穀豊穣を祈願する行事。
5日 / 水天宮祭礼
秋田の竿灯を先頭に祭神安徳天皇が壇ノ浦で入水した故事に因む船の錨の形をした錨神輿や祭囃子が次々と繰り出される。
5日 / 宝の舞
浅草寺にて。幼稚園児が七福神を乗せた宝船を引き、本堂前で船を囲んで舞を奉納する。昭和47年5月から始められた。
17、18日に近い金・土・日曜日 / 三社祭
浅草神社にて。正和元年(1312)から始められたという古い祭り。金曜日の名物大行列、土曜日の町会神輿の連合渡御、日曜日の本社神輿三基の勇壮な「宮出し」と渡御。浅草一帯が盛り上がる初夏を彩る江戸っ子の祭り。東京の祭りの中でも最も賑わいを見せる。
18日 / 入谷鬼子母神祭礼
江戸三鬼子母神の一つで、本堂は万治2年(1659)に創立された。
18日 / 杉山検校祭
江島杉山神社にて。元禄6年(1693)6月、鍼術杉山流の祖、杉山検校和一がこの地を拝領し、江ノ島弁財天を勧請した江島杉山神社で総検校杉山和一の徳をしのび、琵琶の奉納などがある。
下旬 / 浅草さつき展
浅草寺にて。さつきの銘花や珍しい盆栽などが所狭しと並ぶ初夏の風物詩。
25日 / 消防殉職者慰霊祭
浅草寺にて。江戸消防記念会の全組の纏いが集まり、先人の功績を顕彰する。
28日 / 正五九大護摩
浅草寺駒形堂にて
31日〜6月1日 / 植木市
浅間神社にて。江戸時代から富士山の山開きの祭事に合わせ、富士参りと同じご利益を願う人達で賑わってきたのが「富士祭り」。明治の中期からこの縁日に植木市が立ち、現在では神社周辺には多くの植木商が持ち込んだ植木や花で埋まる。通称「お富士さん」。また、6月30日から7月1日にもある。

六月

1日近くの日曜日 / 石浜神社祭礼
聖武天皇の神亀元年(724)に勅願により鎮座された古社で、伊勢の皇大神宮の関東の重要な摂社であって、昔は朝日神明宮と言っていた。隔年で本社神輿の渡御が行われる。
3日に近い土・日曜日 / 素盞雄神社祭礼
延暦14年(795)の創建といい、3年に一度の本祭りには本社神輿が土曜日に宮出しして、町屋の原神社に一泊。日曜日に宮入りする。また、本社神輿を二天棒で担ぎ、鳳凰が大地に触れんばかりに激しく左右に振る豪快な「神輿振り」が異彩を放つ。
3〜4日 / 山家会(さんげえ)法華八講
浅草寺伝法院にて。別称「六月会」ともいわれ、天台宗祖最燈(767〜822)の追善式にあたり、4日間に法華八講を修得する。
6日 / 木遣り奉納
三囲神社にて。明治8年(1875)6月6日に建てられた「木遣り塚」前で、江戸消防記念会の会員が木遣りの奉納。
第1土・日曜日 / 第六天榊神社祭礼
古来より「第六天神宮」あるいは「第六天神社」と称していたが、明治6年に現称となった蔵前の産土神。隔年の本祭りには七曜紋輝く千貫神輿の本社神輿の渡御や神楽で賑わう。
7日に近い土・日曜日 / 白鬚神社祭礼
隅田川に沿う墨堤通りに面し、向島では一番古い神社。氏子のことを「図子(ずし)」と呼び、商売繁盛、交通安全、千客万来にご利益ある神社とされている。3年に一度の本祭りに、嘉永元年(1848)、行徳の後藤直光の作の豪華な本社神輿の渡御がある。
第1土・日曜日 / 玉姫稲荷神社祭礼
創建は天平宝宇4年(760)、京都伏見稲荷を勧請したといわれ、山谷の鎮守。4年に一度の本祭りには、本社神輿の渡御が行われる。
第1土・日曜日 / 熱田神社祭礼
正保年間(1644〜47)、鳥越にあった町とお社を上地され、ここ吉野町に移って、新鳥越と言っていた。一町一社である。本社神輿の渡御は不定期である。
第1土・日曜日 / 蔵前神社祭礼
5代将軍綱吉が、元禄6年(1693)8月に山城国(京都)男山の岩清水八幡宮を当地に勧請したのに始まるといわれる。本社神輿の屋根の蕨手には梅鶯が彫り込まれ、吹き返しにい天女の図が配されている。隔年の本祭りには本社神輿が渡御される。
第1土・日曜日 / 銀杏岡八幡神社祭礼
永承6年(1051)頃の創建。源義家が奥州征伐の途中、戦勝を祈願してこの地に銀杏の枝を差した。凱旋して戻って来ると大きく成長していたので、八幡宮を勧請したのが始まりという。近所の須賀神社と同寸の宮惣作の錺神輿は隔年の本祭りに渡御される。
第1土・日曜日 / 浅草橋須賀神社祭礼
明治元年(1868)に天王社から改称。当日、神前に供えた笹団子を参詣者に配ることから、俗に「団子天王祭」と呼ばれる。本祭りは隔年で、本社神輿の鳳凰が疫病除けの護符「笹団子」をくわえて渡御する。
第1土・日曜日 / 篠塚稲荷神社祭礼
商売繁昌、火防の神として尊信篤く、関東大震災による都市区画整理のため、現在地に移ったという。
第1土・日曜日 / 今戸神社祭礼
もと今戸八幡宮と称したが、昭和12年に白山神社と合祀して今戸神社と改称された。戦災で焼失した旧神輿を模して平成3年に造られた本社神輿は、3年に一度の本祭りに渡御される。
9日に近い土・日曜日 / 鳥越神社祭礼
孝徳天皇の白雉2年(651)、かつて白鳥大明神と称したのが始まりという。白鳥大明神とは日本武尊が白鳥になり、大和に帰ったという伝説からだそうだ。そして、源八幡太郎義家が鳥にちなんで鳥越と命名したと伝えられる。別名「鳥越の夜祭り」として有名で、高張提灯を掲げて千貫神輿の本社神輿の宮入りは下町名物の一つである。
10日前後の土・日曜日 / 波除稲荷神社祭礼・築地獅子祭り
万治年間(1658〜60)に、この辺りの埋め立て工事が高波のためにはかどらず、それを静めるために作られたという。海の安全を守る神として魚河岸で働く人達の信仰を集め、3年に一度の本祭りには、土曜日の本社神輿と獅子頭の渡御、日曜日の町会神輿の連合渡御が盛大に行われる。
15日近くの土・日曜日 / 隅田稲荷神社祭礼
俗に「善左衛門稲荷」ともいい、天文年間(1532〜54)の創建といわれる。3年に一度の本祭りには本社神輿の渡御があり、また、墨田区開拓の祖である江川善左衛門雅門の徳を称えた里人が、万灯は世の中を平和にするという教えを守って担いだのが万灯神輿の始まりで、当社にある絵巻を模写している。大正5年に途絶えていたが昭和49年に復活、毎年出る。
17日 / 開山勝海上人忌
浅草寺伝法院にて
18日 / 江島杉山神社弁天祭り
昔は「本所一ツ目弁天堂琵琶会」と言った。
18日 / 楊子浄水加持会
浅草寺にて。大正8年(1919)以来の行事。花瓶の浄水に楊柳の枝を差し、散枝を持って進み出た信者は病気が速やかに治癒するという。
28日 / 水神祭
白鬚神社にて
30日 / 茅の輪くぐり
鳥越神社、第六天榊神社にて。チガヤを束ねた直径3メートルほどの輪を左足から入って、右足を抜いてくぐることを三度繰り返し、無病息災を祈る行事。

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