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駒形のご紹介

屋形船の歴史

江戸の文化、経済が栄えることができたのは第一に河、堀と呼ばれる水上交通によってです。
例をあげれば塩の道、物資の道として小名木川、遊びへの道、吉原への道として谷掘、特に隅田川は江戸町民の自慢であり、常に浮世絵、文人の遊び、町民の遊びに必ず登場してまいります。
そして武士、町民に限らず舟遊びを楽しみ、その一つとして屋形船が登場し、全国から集まってくる武士やその他の人々が江戸の文化、江戸の粋を楽しむようになりました。
屋形舟遊びは明治、大正、昭和と続いて楽しまれ、また親しまれてきました。

ところが昭和20年前後より戦争に敗れ、戦後の混乱、そして30年代に入り水の汚れ、さらに隅田川の両岸にできたカミソリ堤防等の理由により途絶えてしまいました。
その後少しの間を置いて、徐々にではありますが水の汚れの改善がなされ、昭和の終わりごろに今の屋形船が登場してまいりました。

その当時の屋形船は20名位の定員と小さな船が主流でした。その後は定員で80名から90名と大きな船に変わり、設備もカラオケはLD、通信に変わり、各船にはエアコン搭載も普通になりました。

現在では川に浮かぶお座敷といった感じで多くのお客様にご利用頂いております。

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