Skip to content

コラム

浅草歴

十月

江戸神輿大会

東京近郊の神輿が集まり、浅草の中心地を練り歩きます。雷門の近くで神輿の紹介があります。

菊花展

浅草寺境内にて、様々な形態の菊の花や菊人形、花文字などが多数出品、展示されます。

十一月

白鷺の舞い 東京時代祭

江戸・東京の歴史や文化などの歴史絵巻の行列が浅草を行進します。
多くの見物人が訪れるイベントの一つです。

七五三詣

3才の男女児、5才の男児、7才の女児を祝う、もっともポピュラーな行事の一つです。
昔は公家の行事でしたが、江戸時代になって武士や町人の間にも広まり現在のような形になりました。
浅草寺隣の浅草神社でもお参りが行われます。

酉の市

浅草から少し離れた鷲神社で行われます。元は農民の収穫を祝いで神社に鶏を収めたもの。
その『とり祭り』が後に『酉の市』に変わったそうです。
その神社から授かった物は熊手で、お金と幸運をかき寄せる(かっこむ)ことに通じるとして、江戸時代中期から特に盛んになりました。
売り手と買い手の間で行われる値段のねぎりや、最後にやる威勢の良い手締め。下町に冬を告げるお祭りです。

十二月

羽子板市

別名羽子板市と言われ、浅草では一年の最後の催しになります。
これは江戸時代、江戸の街の中でも一番の賑わいを見せる市で、もともとは歳の瀬になって必要となる正月用品が並ぶ市だったそうです。
そんな品物の中に羽子板が加わり、羽子板の華やかさが人目を引き人気商品になり、やがては主流になっていったそうです。

この羽子板市は『市の人 人より出でて 人に入る』『人より始まって、人に終わる』と言われたくらいの賑やかさだったそうです。
またここで活躍するのが羽子板職人。
今ではいつでも手に入れることが出来ますが、当時はなんと言っても一年に一度の市。職人にとってはここが腕の見せ所です。
その年に活躍された人や、時の人など、様々な絵が書かれている羽子板ですが、女の子が生まれた翌年の正月に羽子板を買ってお祝いをしたとか。
その羽子板はお嫁入り道具になり、親、子、孫と代々受け継がれていくそうです。

除夜の鐘

浅草寺の除夜の鐘は百八会の信徒によって撞かれます。
午前0時から108の鐘を鳴らすもので、今年一年の108つの煩悩の眠りを覚まして仏道修業をし、心を清めて新年を迎えようというものです。

ご予約はこちらから

交通のご案内